東大駒場地区保育所のあゆみ

       

 

▼ 開設まで

 今日ではゼロ歳児保育は当然のこととなっていますが、以前公的保育は1歳からとなっていました。そのため1960年代には、ぜロ歳児保育を必要とする人たちが、自ら保育所を作り運営する共同保育の運動が広がりました。
  当時、駒場キャンパスでも、産休明けからの保育を求める切実な要求があり、学内に保育所を作る運動が始まりました。この運動は大学紛争(1968〜69年)中も続けられ、71年5月、教職員組合を設置者とする乳児対象の無認可学内保育所が実現しました。
  なお、宇宙航空研究所(当時)職員組合も保育所開設の大きな推進力となりました。



▼ 保育室へ

  
園舎にはキャンパス裏門近くの古い木造平屋を充て、最小限の改造でスタートしました。乳児2人保育者1人でしたが、その年の内に年のうちに子ども数は10人を超えました。
  開設翌年(72年)から東京都の保育室制度の保育室となり、都と目黒区から補助金を受けると共に地域住民の利用受け入れを行うようになり、地域に開かれた学内無認可保育所というユニークな性格を持つことになりました。



▼ みんなで支えて

  園舎は園児増で手狭になるたびに少しづつ拡張を重ね、老朽箇所の補修も一再ならず行いましたが、その資金はカンパやバザーはじめ、構内の草刈りから学生の解剖実習に使うミミズ獲りまで、皆の創意と労力で作り出しました。
 また発足当初、200名近くの教職員が毎月一定額を継続的に拠出する定期カンパで運営経費の不足を補ったこともあります。


 こまばっこの会

  90年から3歳児以上就学前までの保育も行うようになりましたが、その後保育室制度の対象が2歳児までに限定されるようになったので、3歳児以上の受け入れのため、別に「こまばっこの会」を併設(2000年)しました。

▼ 将来計画のアピール

  こうして大学と周辺地域に定着していった保育所ですが、将来の問題となると法的基盤も弱く、財政面の不安も絶えません。老朽化した園舎も早期に改築したい。
  そこで将来問題検討のための委員会を設置(94年)し、そこで作成した「保育所白書」をもとに教職員へのアピールを行いました。学部にも数次にわたり要望書を提出しました。その過程で認可園化の構想も一時浮上(97年)しましたが、実現には至りませんでした。


▼ 認可園化をめざす会と定期カンパ

  認可園化を将来の課題として追求するため「認可園化をめざす会」を発足させるとともに、園舎の耐震補強と建て替えをめざし、資金準備のための定期カンパをスタートさせました(96年)。

▼ 保育所の認知

  
02年11月の学部教授会で、保育所を将来計画に位置付け、耐震補強には建て替えで対処するという方針が了承されました。開設以来学部の黙認の下に存続してきた保育所ですが、学部が認知に転じたことは保育所にとって大きな前進でした。
  


▼ 設置主体の法人化

  学部の認知を受け、社会的にも認知(法人化)を図るため、03年4月NPO法人東大駒場保育の会を立ち上げ、保育所の設置者をこの法人に移しました。



 新園舎の完成

  04年5月、男女共同参画支援施設という形で新園舎が実現しました。旧園舎のイメージを引き継いだ開放的な設計で広さは3倍以上になりました。耐震性にも配慮されています。
  新園舎が完成したので定期カンパは打ち切り、準備した資金は、大型遊具や備品類の購入等にあてました。



認証保育所へ

  東京都の保育室として30年余りの歳月を重ねてきましたが、設置主体の法人化と新園舎の完成により必要な条件がクリアーされ、04年9月から東京都の認証保育所となりました。
  それとともに「こまばっこの会」は東大駒場地区保育所に統合しました。
  また、認証でも国の制度上は無認可で、認可園化の課題は残りますが、「めざす会」はこの際解散の運びとしました。


      
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